万年地獄堂

いつも最低 いつも最低最高最低

もうどうしようもないのかい

 前回の更新から1年くらいが経って、気づけばもう25になっていました。もうアラサーだね。毎年言っていることだけれど、おれの心はいつまでも高校の教室の、あの陽だまりの中にあるんだよな。こればっかしはいつまでたっても変わる気がしないよ。この1年間を振り返りたいのだけれど、それを話す友達もいないから、ここにつらつらと書き残していこうと思う。長くは語らないよ。

 1つ目の会社を辞めてから、3か月間の無職期間を経て、書籍の制作会社に入社したのが10月だった。貯金も残り少なくなって、いよいよ生活がままならなくなって、縋るように、逃げるように入社した。そこは小さい会社で、年齢層もおれとさほど変わらない環境だったので居心地はよかった。ただ、入社して2週間もするころに、仲の良くなった先輩から「この会社に長くいない方がいいよ。みんな入って半年でやめていくくらいブラックだから。」と言われたことはずっと頭の片隅から離れなくて、4か月が経つ頃にはその言葉の意味がよくわかるようになり、また逃げるように退社した。それが今年の2月だった。

 疲弊していた。1年間の間に2つの会社を経験し、どちらも所謂ブラックで、それを理由にして逃げて。くだらない自責の念と、これから先の見通しが全く見えない不安から、また逃げるようにして、今度は公務員試験を受けようと思った。その前に、生活のためとすぐ逃げられるようにと派遣社員という選択肢を取った。1年くらいゆっくり生活して知識を身に着け、来年合格を目指そうと決意した。それが4月。

 あれから4か月が経った。無駄に運が良いこともあって、試しに受けようと思ったM市の1次試験と2次試験に通ってしまった。勉強なんて全くしていないというのに、筆記試験にグループディスカッション、小論文試験に通ってしまったのだ。これはかなりの自信になった。社会の荒波に揉まれ、自尊心をすっかり失ってしまったおれの心に、「合格」という2文字はあまりにも強い輝きを放っていたのだ。それでおれは、深夜のパーキングエリアの灯に群がる蛾のようになって、後先なんて考えず、来年とは言わずに今年受かろうと躍起になった。7月、3次試験の面接があった。雲をつかむような手ごたえで、ただ、これまで上手くいったのだから、まあ通るだろうなどと考えていた。

 8月3日、結果が来た。不合格だった。手の震えと頭に上った血が、無意識にこれは現実ではないと脳が錯覚させようと必死になっているのだなと感じさせた。「大丈夫大丈夫、そもそも来年合格を目指していたのだから、こうなることは予定調和ってやつだろ?これまでの運が良すぎただけだよ。」と自分を鼓舞してなんとか立ち上がれそうになった。それにまだ受けられる試験はあるのだから、それを受けてみよう、絶望している暇はないぞ、となんとか前を向こうとした。

 8月6日、不合格というどうしようもない事実が、現実味を帯びて降りかかってきた。面接の時に聞かれたことを振り返っていると、また同じことを聞かれた時にどう答えればいいのか分からない。嘘はつけない、でも嘘をつかないと到底願いは叶わない。このジレンマにどう落としどころを付ければいいのだろう?嘘を塗り重ねて願いがかなったとして、そのメッキがはがれていくのを恐れながら労働を続けられるのだろうか?また逃げたくなって、折角手に入れたものをあっけなく投げ捨ててしまうのではないのだろうか?

 芸能人が結婚するニュースを見て、相手は30歳の男性だということを知った時、おれは果たして5年後、立派な30歳になれているだろうか。未だにこうして燻っているかもしれない。怖い。年齢を1つ重ねるたび、失敗が怖くなる。20代は好きなことした方が良いよと言ってくれた先輩の言葉も、今はもう信じられなくなってきている。怖い。これから先のすべてが怖い。投げ出したくなるけど、命を投げ出せるほどの勇気もない。この傷だらけの経歴で、これから先の試験を乗り越えられる気がしない。筆記試験が上手くいっても、面接で落ちてしまいそうな気しかしない。怖い。元に戻せない時間のことが。後悔ばかり、こんなはずじゃなかったと思うばかりの人生だ。怖い。そんなことばかり考えるせいで、髪が抜けていくこと、髭が濃くなっていくことが。怖い。大人になることが。自分を曲げることが。楽観的でいられなくなってきたことが。

 というように、かなりブルーな気持ちになってしまっています^^あーもうほんと、これからどうしていこうかねえ、まあ雲みたいに流れるように生きていくんだけどね。みんなもこのクソみたいな現実と暑さにやられて気が狂わないように、アイスをたくさん食べて、いっぱい寝て、友達とバカみたいに遊ぶんだよ。おれからの暑中見舞いです。