万年地獄堂

いつも最低 いつも最低最高最低

追憶その1

新年だし、12月半ばから年明けまでずっと考えてたアレコレを、ようやく書き殴ってやろうという気になったのでやるのである。

社会人になってからの生活を考えたりしていた。大体手取りなんて17とか18万くらいになるだろう。17だったとして、家賃に7万使うだろ?残りは10万円、食費に3万円、ケータイに光熱水道代で2万、残り5万、遊んだりして3万円、服だの美容院だの眼科だの、その他娯楽に2万つ買ったとしたらもう残りは0円、貯金なんてとてもできそうにない。実際はもっと色々お金を使うだろうし、奨学金の返済がある人もいるから、さらに厳しいだろう。社会人の人たちは本当にすごい。朝から満員電車に揺られ、18時とか、残業があればもっと遅くまで働いて、週に2日しか休めなくて、それでもらえるお金がこれっぽっちなんだから、そりゃあ大変だ。女性なんて男性よりお洒落をたくさんする分もっとお金がかかる。パパ活だの夜職だのを副業としてやるのにも頷ける。学生を敵対視する人がいても何もおかしくなんてない。学生なんて本当に楽だ。毎日ダラダラしてたっていいし、単位なんて前日に試験勉強をしっかりすれば取れる。お金も奨学金があるし、学生寮もあるし、両親から仕送りをしてもらえる人だっているだろう。最近思うんだ、この4年間、俺は一体何をしていたんだろうって。大学なんてさ、所謂マーチとかそこらのレベル以上に行けない子たちはよっぽどやりたいことがないなら行く必要なんてないんじゃないかとさえ思ったりする。ただ怠惰に4年間を過ごしてみても何も意味なんてなくて、同年代の社会人たちと話すと、自分という存在がいかに子供で未熟で矮小な存在だって痛感する。この怠惰な時間にもっと苦労を知っていれば、今の俺はもっとマシな奴だったのかもしれないなんて言うと、父さんから「お前にいくら金を使ってると思ってるんだ」と言われた。未熟だと自覚しているだけ十分だとも言ってくれた。お前もこれからたくさん苦労を知って、大人になっていくんだよと言っていた。1番上の姉も俺にお前はもっと苦労をするべきだと言っていた。今思えばあれは甘やかされて育った俺に対する僻みのようなものなのではなく、俺を思っているからこその厳しさなのだろうと理解できる。優しいけど不器用な人だ。そして相変わらず父の背中は大きい。

みんなは「自立」って言葉の意味を知っているだろうか?思うに経済的と精神的の2つの意味があると思う。経済的にというのは、辞書に載っているような意味のこと。精神的にというのは、1年前の夏に友人が言っていたのだが、「依存先を増やすこと」。今になってよくわかるようになったことだ。ただ、「依存」という言葉はどちらかと言えばマイナスの言葉なので、「心の拠り所」とかで置き換えると適当だろう。それが家族や友人、恋人だって人もいるし、仕事や金だって人もいるし、映画や音楽、vtuberだって人がいてもいい。今の俺には家族と少しの友人しかいない。それで十分だろって言われるかもしれないけど、それでも不安定なんだから足りないってことなんだ。だからこそ、精神的にも経済的にも自立して生きていけるように、まずは仕事と金を手に入れようと思い、いきなりスイッチがオンになった扇風機みたいに、クレアおばさん2.5倍速みたいに、狂ったように就職活動を頑張っています。本当に俺という人間はエンジンがかかるまで時間のかかる人間だなと思う。受験の時だってそうだったし、夏休みの課題なんて始業式の3日前から始まるタイプだったし。まあとにかく、まだまだ間に合うのだから必死こいてもがいてみようと思う。それでもどうしようもなくなった時、その時に初めて「なんとかなる」という言葉を使おうと思う。なんとかなるは、切り札なのだ。幽☆遊☆白書の蔵馬も言っていた、「切り札は先に見せるな 見せるならさらに奥の手を持て」と…

嘘をつくという行為について、嘘なんてつかない方がいいに決まってる、結局嘘なんてついたところでいずれバレるし、バレた時には2倍の悲しみを与えてしまうのだから、初めから正直でいる方が絶対いい、嘘なんてつく人は最低だ!と思っていたのだが、友人から「人とカラオケしに行った時、上手いか下手か聞かれても下手だななんて言えないでしょ?」と言われ、確かに…と、ぐうの音も出ないほど完璧な例を持ち出された。この世には優しい嘘というやつがあるらしい。無意識に俺も使っていると思った。嘘をつく人は最低だ!みたいに、0か100かみたいな極端なことはやめよう、結局は嘘か正直かもバランスが大事なのだ。必要な嘘というやつは確かにあると思う。それから、人に嘘をつかせるような質問の仕方も良くない。カラオケの例でいくと、「俺って下手くそだよね?」みたいな質問である。こんなの質問しているようにみせてその実は「そんなことないよ!」を求めている。質問しているように見せて、そう言わせるように誘導している。これは自分にも心当たりがあり、やめようと思う。それにしても、言葉というやつは本当に難しくて面白い。その当時は理解できなくとも、数年経っていきなり真意が理解できたりする。タイムボックスみたいだ。

まだまだ考えていたことがあったような気がするけども、とりあえずはここまでにしておく。そういうわけで、今年の目標は「真面目に・まともに・真っ当に生きる」ということである。もう自分の人生をいい加減にしないと心に誓う。仕事もちゃんと手に付けるし、すぐ辞めたりなんてしない。もっともっと自分が納得できるような大人になるためにも、とにかく気合を入れてポジティブに生きようと思う。そして真面目なのはいいけど、あまり1人で考えすぎないこと。いつもそれでめちゃくちゃになってるから。何事もバランスよくこなせるようにする。俺たちの闘いはこれからだ!