万年地獄堂

いつも最低 いつも最低最高最低

指折りで数える日数 君に伝えられるチャンス

料理スキルを上げようと思ってチャーハンとカレーを合体させてみようとしたら、チャーハンの塩辛さがバターチキンカレーのマイルドさを完全に台無しにしてしまい、ひたすらにしょっぱい物体が出来上がってしまった。自分の才能の無さを悔やむ、誰にだっていずれ来るそんな日が今日だった。

 

新年早々災害が起こり、3.11を思い出した。あの頃俺は小6で、クラスでお別れ会をしていた。教室でジェンガをしていたら、俺が慎重にブロックを抜く前に突然勝手に崩れ、は?????と思った次の瞬間、未だかつてない揺れが教室を襲った。和やかムードが一転、先生が「机の下に隠れて!」と叫ぶ。これは流石に天井が崩れてしまうんじゃないのか、そうなったら抜け出すことは出来るのだろうか?そんな事ばかり考えていた。窓ガラスが割れる音や、何かが倒れる音がしきりに鳴り、揺れが収まると皆外に駆け出した。避難訓練もクソもねえじゃん!そう思っていた。幸いながら俺のいた地域は被害に遭う人がいなかったようだが、それでも地域丸ごと一日停電しており、家にいる間は蝋燭を見つめながら、これからどうなってしまうのだろう、まあどうにかなるかと思っていた。実際どうにかなったので助かった。

ただ、どうにかならなかった人がたくさんいると思う。夢も希望もはもちろん、絶望してる人、それから立ち直ったばかりの人。全てを奪われ、無念のまま亡くなってしまうことを考えると少し辛い。いずれ皆死んでしまう。その時がいつ来るかどうかは選べない。だからこそ、ほどほどに精一杯、無理せず生きなければならないと改めて感じた。

 

さて、去年は公務員試験を失敗という形で終えてしまったが、なんやかんやあって民間に勤められることになったので、今年はそこで頑張っていこうと思う。色々人から聞いたり調べたりした情報によると、この俺でも続けていけるような仕事だと思う。逆に言えば、ここでさえ続けていけなければ俺はどこでも働いていけないだろうと思う。おうおう、追い込まれてるみたいだけど、頑張るぜ。

 

最後に、前に弱音を吐いていた時、コメントをくれてありがとう。名前も顔も声も知らないけど、とても助かったぜ。「あなたの周りにいい人が多いのは、あなたがきっと周りの人に優しく出来るいい人だからだ」と、昔人から言われたことを思い出す。やっぱりそれは間違いないと思う。俺は俺でいい奴だし、俺に声をかけてくれるあなたもすごくいい人だ。これからも時々雑多なことをたらたらと書いていこうと思っているので、お腹が痛くてトイレで神頼みする時とかに見てくれたら嬉しい。とか言うとまるで見に来ることを義務付けてるみたいで嫌なので、やっぱりもう二度と見に来ないでください。俺からのお別れの言葉です。どうかお元気でいてください。

 

もうどうしようもないのかい

 前回の更新から1年くらいが経って、気づけばもう25になっていました。もうアラサーだね。毎年言っていることだけれど、おれの心はいつまでも高校の教室の、あの陽だまりの中にあるんだよな。こればっかしはいつまでたっても変わる気がしないよ。この1年間を振り返りたいのだけれど、それを話す友達もいないから、ここにつらつらと書き残していこうと思う。長くは語らないよ。

 1つ目の会社を辞めてから、3か月間の無職期間を経て、書籍の制作会社に入社したのが10月だった。貯金も残り少なくなって、いよいよ生活がままならなくなって、縋るように、逃げるように入社した。そこは小さい会社で、年齢層もおれとさほど変わらない環境だったので居心地はよかった。ただ、入社して2週間もするころに、仲の良くなった先輩から「この会社に長くいない方がいいよ。みんな入って半年でやめていくくらいブラックだから。」と言われたことはずっと頭の片隅から離れなくて、4か月が経つ頃にはその言葉の意味がよくわかるようになり、また逃げるように退社した。それが今年の2月だった。

 疲弊していた。1年間の間に2つの会社を経験し、どちらも所謂ブラックで、それを理由にして逃げて。くだらない自責の念と、これから先の見通しが全く見えない不安から、また逃げるようにして、今度は公務員試験を受けようと思った。その前に、生活のためとすぐ逃げられるようにと派遣社員という選択肢を取った。1年くらいゆっくり生活して知識を身に着け、来年合格を目指そうと決意した。それが4月。

 あれから4か月が経った。無駄に運が良いこともあって、試しに受けようと思ったM市の1次試験と2次試験に通ってしまった。勉強なんて全くしていないというのに、筆記試験にグループディスカッション、小論文試験に通ってしまったのだ。これはかなりの自信になった。社会の荒波に揉まれ、自尊心をすっかり失ってしまったおれの心に、「合格」という2文字はあまりにも強い輝きを放っていたのだ。それでおれは、深夜のパーキングエリアの灯に群がる蛾のようになって、後先なんて考えず、来年とは言わずに今年受かろうと躍起になった。7月、3次試験の面接があった。雲をつかむような手ごたえで、ただ、これまで上手くいったのだから、まあ通るだろうなどと考えていた。

 8月3日、結果が来た。不合格だった。手の震えと頭に上った血が、無意識にこれは現実ではないと脳が錯覚させようと必死になっているのだなと感じさせた。「大丈夫大丈夫、そもそも来年合格を目指していたのだから、こうなることは予定調和ってやつだろ?これまでの運が良すぎただけだよ。」と自分を鼓舞してなんとか立ち上がれそうになった。それにまだ受けられる試験はあるのだから、それを受けてみよう、絶望している暇はないぞ、となんとか前を向こうとした。

 8月6日、不合格というどうしようもない事実が、現実味を帯びて降りかかってきた。面接の時に聞かれたことを振り返っていると、また同じことを聞かれた時にどう答えればいいのか分からない。嘘はつけない、でも嘘をつかないと到底願いは叶わない。このジレンマにどう落としどころを付ければいいのだろう?嘘を塗り重ねて願いがかなったとして、そのメッキがはがれていくのを恐れながら労働を続けられるのだろうか?また逃げたくなって、折角手に入れたものをあっけなく投げ捨ててしまうのではないのだろうか?

 芸能人が結婚するニュースを見て、相手は30歳の男性だということを知った時、おれは果たして5年後、立派な30歳になれているだろうか。未だにこうして燻っているかもしれない。怖い。年齢を1つ重ねるたび、失敗が怖くなる。20代は好きなことした方が良いよと言ってくれた先輩の言葉も、今はもう信じられなくなってきている。怖い。これから先のすべてが怖い。投げ出したくなるけど、命を投げ出せるほどの勇気もない。この傷だらけの経歴で、これから先の試験を乗り越えられる気がしない。筆記試験が上手くいっても、面接で落ちてしまいそうな気しかしない。怖い。元に戻せない時間のことが。後悔ばかり、こんなはずじゃなかったと思うばかりの人生だ。怖い。そんなことばかり考えるせいで、髪が抜けていくこと、髭が濃くなっていくことが。怖い。大人になることが。自分を曲げることが。楽観的でいられなくなってきたことが。

 というように、かなりブルーな気持ちになってしまっています^^あーもうほんと、これからどうしていこうかねえ、まあ雲みたいに流れるように生きていくんだけどね。みんなもこのクソみたいな現実と暑さにやられて気が狂わないように、アイスをたくさん食べて、いっぱい寝て、友達とバカみたいに遊ぶんだよ。おれからの暑中見舞いです。

24歳の誕生日に仕事を辞めた

7月11日を以って、3ヶ月と少しの間働いたITの会社を辞めた。次の日は24の誕生日だった。会社には嫌な人がいた。会長だった。会長だなんて目上の人とそこまで関わることないでしょ?と思われて当然だが、私の会社は週に1回2〜3時間程度、会長研修という名の自慢話を聞かされ、その内容をレポートし提出、さらには「出世の手引き」と称した会長の話をまとめた文書を作成しなければならなかった。ここまではまだいいんだ。問題は、その会長という人間が気に入った人間とそうでない人間とで露骨に対応が変わり、自分の気分によっても態度が変わり、更には一度言ったことを次の週には撤回したりだの甲斐性のない人間であることなのだ。会長は株式を全て持っているため、社員の誰も、社長さえも会長には逆らえず、実質的に会社の所有と経営の両方を握っていた。私は気に入られてない側だったのでなんでもかんでも否定された。「IT業界にいていい人材じゃない。ポテンシャルがない」と言われたし、趣味で弾き語りをやっているが、人に聞かせることはないと言うと「それじゃあ全く意味がない」とも言われた。他にも言われたことの最悪はたくさんあるのだけれど、それらを全て挙げるのは面倒くさいし、面倒くさいからこのくらいにしておく。

6月の後半に面談があった。配属先を決めるための面談だ。前にただのプログラマーで終わるな、システムエンジニアを目指せと言われていたので、面談に持ち込む自己申告書にはその通りに書いたのだが、そうすると「お前はプログラマーにすらなれねえよ、プログラマー舐めるな、大体お前はIT業界にいていい人材じゃない、ポテンシャルがない」だのなんだのボロクソに言われて、そこまで言われるのならば私もここに無理して居続ける必要はないなと、また、ポテンシャルがないのであればどれだけ努力しても無駄であるから、お互いのためにも良くないなと判断し結果仕事を辞めたのだ。

これでも色々端折ったつもりで、本当に色々最悪があって、それらをいちいち語ろうとしたらとてつもなく長くなってしまう。それに誰だってあんまりそんな暗い話を聞きたくないよね、ってことでこの辺りにしておきます。俺は24の誕生日に仕事を辞め、無職になりました。今は60万ほどある貯金をゆっくりと溶かしながら、部屋の隅を見つめたり、お茶を飲みながら甘いものを食べたり、アニメを見たり漫画を読んだり映画を観たりしながら転職活動をしています。9月までに決まるといいな。みんなも仕事なんて無理して続けなくたっていいんだ。お前の全てを否定する人間のことなんて気にしなくていいし、そんな奴と一緒にいたくないのなら離れてやったっていいんだ。金が無くとも、惨めでも、ダサくとも、生きようぜ。

どこにも行けねえよな

なんやかんやで6月になりました。ずっと「更新してぇ〜」と大擂台賽編の刃牙のごとく思っておりましたが、なかなか書こうと思っても言葉が出てこなかったので頭からブログという存在を一旦消去していました。今回は前回の更新から5ヶ月も経ったということで、生存報告でもしようと思うわけです。箇条書きでいくぞッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!(1番楽だから)

 

・ちゃんと手に職をつけることができました。内定が決まったのは2月後半で、もう1年プー太郎しようと思っていた矢先に採用されたのでとても嬉しかった。今はこんなバカで無能丸出し男を採用してくれた会社でヒーヒー言いながら仕事しています。同期も皆いい奴らで、入った当初感じてた"馴染めるだろうか"なんて不安は杞憂だったな。

・それと同時に、引越しすることになった。2年前に杉並区に来てからこれまで色んなことがあったなあ、なんて一丁前に振り返ってみたりするけど、思い出せるのは吉祥寺で食って飲んだばかりのつまらない記憶ばっかりで、でも楽しかったよね、と思えたりもする。

 

・自分の人生はいつも今がちょっぴり最悪だと感じる。それで辛かったはずのあの頃でさえ、その辛さを忘れてしまいよかったなあなんて思えるわけだ。なんだ"ちょっぴり" 最悪って、と自分でも思うけど、それ以外に表す言葉が見つからない。語彙力なくてごめんなさい、実際大してごめんだなんて思ってねえけど。それをある時友達に言うと、「そうやって過去を賛美できるってことはいい人生送ってんだよ」と返してくれた。だからこのままでいいやと思った。

 

とまあここまで書いたところで、書きたかったことなんてもっとたくさんあるはずなのに、いざとなると何も書けなくなってきたのでやめます。BUMP OF CHICKENのsuper novaにそんな感じの歌詞あったよね。orbital periodを最近よく聴くんだけど、ほんとに名盤だと思う。みんなも聴こうね。

追憶その1

新年だし、12月半ばから年明けまでずっと考えてたアレコレを、ようやく書き殴ってやろうという気になったのでやるのである。

社会人になってからの生活を考えたりしていた。大体手取りなんて17とか18万くらいになるだろう。17だったとして、家賃に7万使うだろ?残りは10万円、食費に3万円、ケータイに光熱水道代で2万、残り5万、遊んだりして3万円、服だの美容院だの眼科だの、その他娯楽に2万つ買ったとしたらもう残りは0円、貯金なんてとてもできそうにない。実際はもっと色々お金を使うだろうし、奨学金の返済がある人もいるから、さらに厳しいだろう。社会人の人たちは本当にすごい。朝から満員電車に揺られ、18時とか、残業があればもっと遅くまで働いて、週に2日しか休めなくて、それでもらえるお金がこれっぽっちなんだから、そりゃあ大変だ。女性なんて男性よりお洒落をたくさんする分もっとお金がかかる。パパ活だの夜職だのを副業としてやるのにも頷ける。学生を敵対視する人がいても何もおかしくなんてない。学生なんて本当に楽だ。毎日ダラダラしてたっていいし、単位なんて前日に試験勉強をしっかりすれば取れる。お金も奨学金があるし、学生寮もあるし、両親から仕送りをしてもらえる人だっているだろう。最近思うんだ、この4年間、俺は一体何をしていたんだろうって。大学なんてさ、所謂マーチとかそこらのレベル以上に行けない子たちはよっぽどやりたいことがないなら行く必要なんてないんじゃないかとさえ思ったりする。ただ怠惰に4年間を過ごしてみても何も意味なんてなくて、同年代の社会人たちと話すと、自分という存在がいかに子供で未熟で矮小な存在だって痛感する。この怠惰な時間にもっと苦労を知っていれば、今の俺はもっとマシな奴だったのかもしれないなんて言うと、父さんから「お前にいくら金を使ってると思ってるんだ」と言われた。未熟だと自覚しているだけ十分だとも言ってくれた。お前もこれからたくさん苦労を知って、大人になっていくんだよと言っていた。1番上の姉も俺にお前はもっと苦労をするべきだと言っていた。今思えばあれは甘やかされて育った俺に対する僻みのようなものなのではなく、俺を思っているからこその厳しさなのだろうと理解できる。優しいけど不器用な人だ。そして相変わらず父の背中は大きい。

みんなは「自立」って言葉の意味を知っているだろうか?思うに経済的と精神的の2つの意味があると思う。経済的にというのは、辞書に載っているような意味のこと。精神的にというのは、1年前の夏に友人が言っていたのだが、「依存先を増やすこと」。今になってよくわかるようになったことだ。ただ、「依存」という言葉はどちらかと言えばマイナスの言葉なので、「心の拠り所」とかで置き換えると適当だろう。それが家族や友人、恋人だって人もいるし、仕事や金だって人もいるし、映画や音楽、vtuberだって人がいてもいい。今の俺には家族と少しの友人しかいない。それで十分だろって言われるかもしれないけど、それでも不安定なんだから足りないってことなんだ。だからこそ、精神的にも経済的にも自立して生きていけるように、まずは仕事と金を手に入れようと思い、いきなりスイッチがオンになった扇風機みたいに、クレアおばさん2.5倍速みたいに、狂ったように就職活動を頑張っています。本当に俺という人間はエンジンがかかるまで時間のかかる人間だなと思う。受験の時だってそうだったし、夏休みの課題なんて始業式の3日前から始まるタイプだったし。まあとにかく、まだまだ間に合うのだから必死こいてもがいてみようと思う。それでもどうしようもなくなった時、その時に初めて「なんとかなる」という言葉を使おうと思う。なんとかなるは、切り札なのだ。幽☆遊☆白書の蔵馬も言っていた、「切り札は先に見せるな 見せるならさらに奥の手を持て」と…

嘘をつくという行為について、嘘なんてつかない方がいいに決まってる、結局嘘なんてついたところでいずれバレるし、バレた時には2倍の悲しみを与えてしまうのだから、初めから正直でいる方が絶対いい、嘘なんてつく人は最低だ!と思っていたのだが、友人から「人とカラオケしに行った時、上手いか下手か聞かれても下手だななんて言えないでしょ?」と言われ、確かに…と、ぐうの音も出ないほど完璧な例を持ち出された。この世には優しい嘘というやつがあるらしい。無意識に俺も使っていると思った。嘘をつく人は最低だ!みたいに、0か100かみたいな極端なことはやめよう、結局は嘘か正直かもバランスが大事なのだ。必要な嘘というやつは確かにあると思う。それから、人に嘘をつかせるような質問の仕方も良くない。カラオケの例でいくと、「俺って下手くそだよね?」みたいな質問である。こんなの質問しているようにみせてその実は「そんなことないよ!」を求めている。質問しているように見せて、そう言わせるように誘導している。これは自分にも心当たりがあり、やめようと思う。それにしても、言葉というやつは本当に難しくて面白い。その当時は理解できなくとも、数年経っていきなり真意が理解できたりする。タイムボックスみたいだ。

まだまだ考えていたことがあったような気がするけども、とりあえずはここまでにしておく。そういうわけで、今年の目標は「真面目に・まともに・真っ当に生きる」ということである。もう自分の人生をいい加減にしないと心に誓う。仕事もちゃんと手に付けるし、すぐ辞めたりなんてしない。もっともっと自分が納得できるような大人になるためにも、とにかく気合を入れてポジティブに生きようと思う。そして真面目なのはいいけど、あまり1人で考えすぎないこと。いつもそれでめちゃくちゃになってるから。何事もバランスよくこなせるようにする。俺たちの闘いはこれからだ!

そういうふうにして生まれたからしょうがないだろ

12時起床、連日深夜に行われた道路の舗装工事が煩すぎて眠れていなかったので無限に眠く、気づけば13時になっていた。まあええか〜と言ってささっと準備をし、吉祥寺へ向かう。今日は先日買ったヒートテックのサイズが合わなかったため、交換しに行くのである。スタコラサッサ・あれよあれよという間に到着、早速事の経緯を店員に伝えたところ、どうやらレシートがなければ対応できないとのこと。ハイパーシティボーイのこの俺様は電子決済を使うので、レシートなどといったものは受け取らないのである。あの〜レシートないんスけど(⌒-⌒; )というと、あ〜でしたらちょっと。。。(⌒-⌒; )と反応されてしまい、ここでもし俺がひろゆきだったならば、なんでもかんでもいちゃもんをつけて交換していただろうが、生憎俺は俺なのであった。一応カードの利用履歴残ってるんですけど→レシートないとだめです(⌒-⌒; )ヒートテックってサイズの試着できないですよね?それだとわかんないですよ→できますよ(⌒-⌒; )もうそれじゃあこれどうすればいいですか?→処分されるようでしたらこちらで承ります(⌒-⌒; )このように完璧に対処されてしまい、最早完全に敗北を認め笑いながら、じゃあMサイズ買ってきますわ!すんません!ありがとごさいました!と、ここまでしっかりとした対応をされてしまうと晴れ晴れとした気持ちで店を出ることができた。その後公園のベンチでボケ〜っとしていると、馬鹿でかい蝿が馬鹿でかい音を立てて俺の周りをうろちょろうろちょろするので、あ〜もうわかった!出ていくからやめてくれと言うと、隣のベンチに座る人に怪訝な目で見られたので、これまたスタコラサッサ・あれよあれよとお家に帰るのである。

ps.誰か、9部袖のヒートテックSサイズ2枚、必要でしたらタダであげます。(ps.ってこういう感じに使うものであってますか?最近までプレイステーションの略だと思っていました)

え!?えーーー!?!?!?

UUUM、昼起きてまず茶を嗜み、コンタクトを買い、その後は家でずっとゲームをしていたらこんな時間になってしまった。寝ようにも眠れないのは、生活習慣がとっくに狂っているからなのか、今日も誰とも話していないからなのか、空虚だからなのか、あるいはその全てなのか、知る由もないしどうでもいい。「どうでもいい」って言葉はあまり良い言葉ではなく、使いたい場合は「どっちでもいい」と言うべきだ、と昔人から教わったが、そんなことはどうでもいい。誰にだっていずれ来るそんな日がたまたま今日だったってだけで、別に悪い気はしない。そういうわけで、カップ麺にお湯を注いだ。

ああ、ほんとうに俺ってどうしようもないのな、と毎日焦っている。焦ったってどうにもならないし、というか結局どうにかなるしどうにかしてきたのだから、まぁどうにかなるのだ。えー、もう10月になりましたが、内定0です。というか就職活動を俺は8月以降全くしていません。どうにかなるどうにかなる、大丈夫俺はいつだって正気さ。麺神(めがみ)、食べていきます。

この空虚を埋めるためにどうすればよいのだろうか、人が好きじゃないけど人と話すべきなのだろうか、女をとにかく抱きまくればいいのか、とりあえず家を出て、街を彷徨ってみれば自分の人生を変えてくれるような人が現れてくれるのだろうか、というか自分の人生を他人に変えてもらおうだなんておこがましい考えをしているうちには一生変わらないのだろう、お前が消えて喜ぶ者にお前のオールを任せるなとか言いますからね。麺神、ニンニク臭いのがこの時間の食欲に訴えかけてとてもGOODです。(GOODからOをひとつ除いてみると、GODになるわけですが、これがどういうことだか皆さんならもうお分かりですよね?笑)よし!と思いたって、リングフィットアドベンチャーとかを始めてみたりしたが、結局長続きせず、既に置き物になっているこのガラクタを見つめながら、今宵も月が綺麗だなあなどと見もせずに語ってみせるのだ。(深夜にカップ麺だのお菓子だのを食べると露骨に肌が荒れるので最近は控えています。)それから埃の被ったギターを太ももで支え、錆びついた弦を押さえてコードを弾いてみる。B、D#m、G#m、E、F#の5つを繰り返しながらこう呟いた。

もうなんにもかんにも投げ捨てて

こっから飛び出して行けよ

そんなことすらできないのは

誰のせい?誰のせい

あいつはなんにも見えてないさ

素っ気ないその愛撫で

なにを満たせるっていうのさ

馬鹿みたい?馬鹿みたい

朝焼けと波

陳腐な夢

くだらない妄想ばかり

23年目の夏の日

え、結構いいじゃんいいじゃん、なんだよなんだよ、俺って結構いい曲書けるんじゃねえ?と満足したところで、嗚呼これが満たされるってコト(深夜にカップ麺を食べるギルティを犯す)なんだ。。。と思い、明日には忘れてるだろうこのメロディーが頭に反復する余韻に浸りながら、常夜灯を消した。明日もきっといい日になるよね?ハム太郎!!!